シンポジウム「サスティナブル日本」01
藤崎健吉氏〔司会進行役〕

サスティナブルは日本語で「持続可能な」と訳されます。
このシンポジウムで題した「サスティナブル日本」は、「将来の環境や次世代の利益を損なわない範囲内で日本の社会発展を進めよう」とする理念から名づけられました。
サスティナブル日本の基本は「食」と「農業」にあると思います。その観点から、今回は農業・料理・政治・メディアといった各界を代表する方々にお集まりいただきました。
わたしも、疲弊している地域の経済を持続可能にするためにどうしたらいいのだろうと、よく考えています。しかし、サスティナブルという概念は、「次世代のために現在どうあるべきなのか」を考えることであり、けっして「現在あるものをそのままどうやって未来につなげていくか」ということではありません。
それを踏まえて、日本の食と農をサスティナブルにするには、どんなことがいちばん重要なのか、それぞれの立場からうかがってみましょう。
田中康夫氏

サスティナブルというのは持続可能といわれますが、基本的に「持続可能は困難なものである」という前提に立たなければならないと思います。
人間も寿命があり、200歳まで生きられるということはありません。建物も数百年経てば朽ち果てるものがほとんどです。
日本を例にとってみると、毎年82万人ずつ人口が減少しています。これは世田谷区や大阪の堺市とほぼ同じ人数です。他方で、日本は1時間に66億円ずつ借金が増えているわけです。当然、世界一の借金国です。構造改革といわれたわずか5年間で、250兆円もの借金が増えています。日本の借金はおよそ1,000兆円ですから、構造改革は約4分の1の借金をつくりだしたといえます。
ここで「中央」「地方」という概念でみてみましょう。たとえば、地方の夕張市は過疎によって危機的な財政破綻をしています。夕張市の人口約12,000人を1万倍すると日本の人口になりますが、夕張市の借金約670億円を1万倍しても670兆円で、国の借金1,000兆円には遠くおよびません。つまり現在、夕張市以上の破綻が国家規模で起きているわけなのです。
だから、サスティナブル日本をめざすには、「〈量の拡大〉が幸せなのではなく、〈質の充実〉こそが幸せなのである」という大きな発想の転換をしなければなりません。すなわち、行政が建物などをつくりつづけるのではなく、「今あるものをいかに活用していくか」という思考になることが重要だと思います。
佐藤伸二氏

料理人としていちばん問題だと感じるのは、効率化優先の論理です。その弊害として、「料理人としての本質」の継承が非常に危うくなってきています。調理技術だけなら講習会などで補えますが、それでは料理の根本が若手に伝わりません。今の若い料理人はつくりかたの技術ばかりを追求して、生産から消費までのラインには目もくれないからです。
昔は生産者をまわって自分が気に入った良質な野菜だけを仕入れてくるということが日常的におこなわれていました。そこに若手を同行して、目利きや食育などいろいろなことを学ばせることができたのです。
料理界の未来に不安を覚えたわたしは、「食の〈点から線〉への思考の伝承」を重要視するようになりました。5年前、まずはわたし自身が思考の原点回帰をするため、高坂さんの協力のもと、評判の生産者をまわることはもちろん、自ら農業に従事することをはじめたのです。
実際に土にさわってみることで、おいしいものをつくる過程での生産者の苦労がわかってきました。生産者と料理人が畑で一緒になって考えていくことで、食の未来の展望が開かれることも実感しました。土にふれていれば、自然と若い料理人もなにを学んでいけばいいのかが見えてきますし、料理人としての本質の継承もスムーズに展開できるようになったと思います。農作業は人間を本来のすがたに戻す力を持っているのです。
土台からつくっていくために農業をはじめましたが、当初は「変わっている」「包丁ではなく鎌を持った料理人」などと奇異の目で見る人がたくさんいました。しかし、時代が食の安全やおいしさを求めはじめた現在では、あたりまえのことになりつつあります。
若手には、野菜を栽培しながら食育をしています。かつての日本の家庭では、食育は自然におこなわれていました。しかし、今は食育が食卓でできていない時代なので、ともすると若い料理人などは機械がつくる製品と同じ風味の料理になってしまいがちです。料理の基本は、食材を理解することです。いくら技術を精進させても、そこがおろそかだとおいしい味が引き出せません。
効率だけを追求する風潮を捨て、大局的な見地から「意味のある回り道」を推奨することが、サスティナブル日本には大切なのではないでしょうか。
花田紀凱氏

持続性というと耳が痛いことがあります。40年近く雑誌の編集にたずさわり、いくつか雑誌を廃刊にしているからです。雑誌もつづけることに意義があるので、持続の困難さは身にしみて理解しているつもりです。
農業に関する持続性では、コメが心配になります。世界の歴史を見ても、自国の主食を「つくらなければ金を出す」という政策は皆無です。地方に行くと、田んぼがつぶされて荒廃したすがたをよく目にします。食料自給率の話とからめて、もっと議論をしていかなければ、日本の農業は持続できなくなるのではないでしょうか。
新幹線に乗って浜松付近を通過すると、かつてはウナギの養殖池を随所に散見しましたが、現在はほとんど見られなくなりました。これもウナギを輸入に頼るようになった弊害です。その場所がなにかに変わっているかといえば、単なる空き地になっているという惨状です。農業に関して、このような事例が全国各地にあるような気がします。
だから、まずは主食であるコメに着目して、国民みんなでサスティナブル日本を考える土壌をつくることが大切だと思います。
高坂英樹氏

生産者は「技術的に持続可能か」ということには対応できます。たとえば、新規就農で、7年しか農に従事していないわたしのような人間が、冷凍なしで冷蔵庫に1か月間保存できる鶏を飼育可能なのです。技術や知識以上にパフォーマンスとして料理人の支持を得たこの「高坂鶏」は、諸外国ではまだ実現できていません。日本人の知識と技術なら、手間ひまをかければ、農業でもある程度のことはできてしまうのです。
荒れた田んぼを再生することも、レベルの高い生産者なら簡単です。日本の農業技術は、チャンスさえあたえてもらえたら、なんでもできるほど高水準なのです。
今日のイベントの料理に提供しているうちの鶏卵は、第1回「ニッポン食堂」のときに提供したのと同じ親鶏が産んでいます。日本の養鶏では、通常ヒヨコから約150日間で親鶏になって卵を産み、12〜15か月で引退です。うちが20か月以上もクオリティの高い卵を産ませることが可能なのは、エサや飼いかたにちょっとした手間と工夫をしているからです。
これは、意識の高い料理人などとの出会いから、わたしに卵を買っていただけるチャンスがあるからできることで、そういう機会さえあれば誰でもできることなのです。
だから、農業技術の面からは持続可能といえます。問題なのは、そういったチャンスをあたえられない政治情勢や経済情勢なのです。効率化ばかりに固執する企業の姿勢や、安さばかりを求める生活者の意識レベルや食の知識の低さなどにも問題があるといえます。たとえば、国策で農薬や化学肥料を使用しないものをつくりなさいと強要したら、クオリティや生産性の高いものがどんどんできるはずです。それをされると困る既得権益層が、政策を牛耳っているのが問題なのではないでしょうか。

















